稚児ヶ淵

 稚児ヶ淵は島の西端に位置し、大正12年(1923年)の関東大震災で1mほど隆起した波食台地です。この名称の由来は、建長寺の修行僧自休が、江の島へ百ヶ日参詣の帰り、相承院の稚児白菊と出会ったのが縁で恋におちいりました。しかしその恋も実らず、ついには白菊はこの断崖から身を投げ、自休もそのあとを追ったという悲恋物語からおこっています。

 ここから眺める富士山夕焼けの相模湾の美しさは、まさしく「かながわ景勝50選」のひとつに数えられるものです。


            「稚児ヶ淵・永瀬覇天朗の句碑」の表示説明文より引用

 足場の悪い断崖絶壁の手前のところです。風が強かったので、帽子を飛ばされないようにしたり、足場を気を付けなければいけないなど、手すりなどがなければちょっとヒヤヒヤするところです。水平線は見応えがあります。