杉山検校の墓

 杉山検校は、本名を杉山和一という江戸時代の鍼師です。杉山検校(和一)は慶長15年(1610年)伊勢国に生まれました。幼い時に失明し、山瀬検校、入江豊明などの有名なはり医に学んでいました。その後、江の島岩屋に21日の間、参籠し、ついに管鍼の術を創案したといわれています。

 その時使った管鍼術は江の島弁財天から授かったと伝えられています。お礼に三重の塔を建てるなど弁財天とは縁の深い人物です。

 そして5代将軍徳川綱吉の信任をうけて、江戸本部に邸宅を賜り、元禄5年(1692年)には、下之宮(現 辺津宮)境内に護摩堂を建て、翌年には三重塔を建てて寄進しました。

 元禄7年(1694年)に本所の私邸で亡くなり、近くの弥勒寺に葬られました。この墓碑は一周忌の命日(5月18日)に、次の総検校、三島安一が造立したものです。

 墓碑は笠塔婆型に造られています。昭和38年(1963年)藤沢市指定文化財「史跡」に指定されました。


                    「杉山検校の墓」表示説明文より引用

 朱の鳥居の手前右側にある通路を少し歩くと、右側に下る階段があります。そこを降りると杉山検校の墓があります。

 人気がないところで、且つお墓なのでちょっと怖い感じがしました。人が多数通ってる時の雰囲気と、一人でいる時の雰囲気にギャップを感じる場所でした。