猿田彦大神

この碑は庚申塔の一つで、天保3年(1832年)に建てられたものです。


 碑の執筆者である阿部石年は、藤沢宿の儒者として、また書家として知られ、天保6年(1835年)に没し、その墓碑は鵜沼の万福寺にあります。


 この碑に書かれている「猿田彦大神」とは、古事記・日本書記の神話に登場する神で、天孫「ににぎのみこと」降臨の際、高千穂までの道案内を務めた神といわれ、中世以降、「庚申信仰」や、「道祖神信仰」と習合しました。


 ※庚申信仰とは人間の体内には、三戸という三匹の虫がいて、常に人間が犯す罪過を監視し、庚申の晩に体内から抜け天にのぼり天帝に罪過を報告し、人間を早死にさせるという。だから庚申の晩は、常に徹夜をしていれば体内から抜け出し報告できないので、早死にを免れ長生きできるという、中国道教の教えからはじまっています。


猿田彦の名前から庚申の「申」と結びついたといわれています。


                     「猿田彦大神」表示説明文より引用

 江島神社(辺津宮)の通りを歩いていくと交差点に入り、その手前右側にあります。庚申信仰の三戸と、仏教の三毒(貪・瞋・癡)が似ていると思いました。何かにすがる信仰の教えで安堵感を保っているようにも思いました。