龍の口刑場跡

 當地は鎌倉幕府時代の刑場跡である。幕府の公式記録である。『吾妻鏡』には腰越、龍の口に於いて斬首との記載が多く見られる。

 奈良時代の僧・奏澄、一説には鎌倉時代の僧・文覚が龍口明神に法味を供養したところ、国に背く悪人が出来した時は首を斬り社頭に掛けよ、との神託を受けた。これによって龍の口が処刑場になったと旧記にある。

 文永八年(1271年)九月十三日子丑の刻(午前二時)、日蓮大聖人は『立正安国論』の諌言により、幕府に捕えられ、この刑場・敷皮石(首の座)にすえられた。

 しかし処刑の瞬間、時あたかも江の島の方より満月の如き光りものが飛び来りて、執行人共は眼がくらみ、この奇璃の為、ついに大聖人の首を斬ることが出来なかった。

 かくして此処は日蓮大聖人龍口法難の霊場であり、世の安寧の為に身命を賭けられた寂光土と称される所以である。


霊場本山 寂光山 龍口寺


                   「龍の口刑場跡」の表示説明文より引用

 寂光山龍口寺の入り口の左隣にあります。道路などの喧騒の中にひっそりある感じです。よく見ると正面に大木が生えています。切り倒さないのは昔から生えているからでしょうか。